庄内町議会 2021-12-07 12月07日-01号
12月2日、木曜日、午前8時頃に余目第一小学校教頭が出勤し、水道が出ないため教育課に連絡が入り、教育課職員が現地確認のため学校へ行っています。 漏水発見から学校が臨時休校を決定する前までの経過は、記載のとおりです。
12月2日、木曜日、午前8時頃に余目第一小学校教頭が出勤し、水道が出ないため教育課に連絡が入り、教育課職員が現地確認のため学校へ行っています。 漏水発見から学校が臨時休校を決定する前までの経過は、記載のとおりです。
蛸井氏は、昭和54年から教職に就かれ、神奈川県内の中学校をはじめ、鶴岡市立朝暘第一小学校、朝日村立大泉小学校、鶴岡市立朝暘第三小学校の勤務を経て、鶴岡市立大網小学校教頭、同西郷小学校教頭、同斎小学校校長、同あさひ小学校校長を歴任されました。
布川 敦氏は、昭和58年4月に公立学校教員となり、平成22年4月に鶴岡市立小堅小学校教頭、平成25年4月庄内町立立川小学校教頭を経て、平成28年4月に鶴岡市立京田小学校校長に就任されました。平成30年4月の京田小学校と栄小学校の統合調整に尽力し、統合後の京田小学校の校長としてPTAの活性化、同窓会の組織運営、学校、家庭、地域の連携強化など、地域から信頼される学校づくりを推進しておられます。
井由美子氏は、昭和54年から教職につかれ、神奈川県内の中学校を初め鶴岡市立朝暘第一小学校、朝日村立大泉小学校、鶴岡市立朝暘第三小学校の勤務を経て、鶴岡市大網小学校教頭、同西郷小学校教頭、同斎小学校校長、同朝日小学校校長を歴任されました。
五十嵐氏は、昭和47年から教職につかれ、横浜市内の小学校を初め、温海町立福栄小学校、鼠ヶ関小学校、温海小学校の勤務を経て、鶴岡市湯田川小学校教頭、温海町立鼠ヶ関小学校教頭、鶴岡市立由良小学校校長、同温海小学校校長を歴任されました。
小池政幸氏は、昭和48年4月から山形県公立学校教員となられ、小学校教諭として勤務され、櫛引町立櫛引南小学校教頭、鶴岡市立朝暘第三小学校教頭、藤島町立長沼小学校校長、鶴岡市立櫛引東小学校校長、鶴岡市立朝暘第五小学校校長を歴任され、平成23年3月に退職されております。
その後、昭和55年4月に鶴岡市立公立学校教員として鶴岡市立京田小学校教諭となられた後、立川町狩川小学校教頭、鶴岡市立朝暘第六小学校教頭を経て、鶴岡市立大泉小学校長、鶴岡市立朝暘第六小学校長、鶴岡市立朝暘第一小学校長を歴任され、平成22年3月に退職されました。
荒澤氏は、昭和41年から教職につかれ、埼玉県内の小学校初め鶴岡市立大山小学校、櫛引町立櫛引東小学校等の小学校の勤務を経て、鶴岡市京田小学校教頭、同朝暘第六小学校教頭、同大泉小学校校長を歴任されました。平成12年からは、櫛引町情報公開審査会委員を、新市発足後の平成17年からも審査会委員を務めておられます。
その後昭和55年4月に鶴岡市公立学校教員として鶴岡市立京田小学校教諭となられた後、立川町立狩川小学校教頭、鶴岡市立朝暘第六小学校教頭を経て、鶴岡市立大泉小学校長、鶴岡市立朝暘第六小学校長を歴任され、現在は鶴岡立朝暘第一小学校長を務められております。
鈴木元女氏は、昭和45年3月山形大学教育学部を御卒業後、同年4月から山形県公立学校教員となられ、羽黒町立第三小学校に赴任後小学校教諭として勤務され、温海町立温海小学校教頭、鶴岡市立斎小学校教頭、温海町立山戸小学校校長、鶴岡市立鼠ヶ関小学校校長を歴任され、平成20年3月に退職されております。
荒澤氏は、昭和35年に日本大学農獣医学部を卒業され、昭和41年から教職につかれ、埼玉県内の小学校を初め鶴岡市立大山小学校、同栄小学校、櫛引町立櫛引東小学校、羽黒町立第三小学校、朝日村立大網小学校の各小学校の勤務を経て、鶴岡市立京田小学校教頭、同朝暘第六小学校教頭、同大泉小学校校長を歴任されました。
60年4月に市立の朝暘第五小学校教頭として教育現場に復帰、その後藤島町立長沼小学校長、金峰少年自然の家所長など歴任してから、平成7年4月から本市教育委員会学校教育課長として本市の教育行政に精励をしてもらっております。
樋渡氏は、昭和36年に山形大学教育学部を卒業後、教職につかれ、三瀬小学校、朝暘第一小学校、鶴岡第一中学校、鶴岡第四中学校の勤務を経て、酒田市立浜中小学校教頭、酒田市立泉小学校教頭、大山小学校教頭を歴任され、平成8年から平成11年まで大山小学校校長を務められました。
樋渡氏は、昭和36年に山形大学教育学部を卒業後、教職につかれ、三瀬小学校、朝暘第一小学校、鶴岡第一中学校、鶴岡第四中学校の勤務を経て、酒田市立浜中小学校教頭、酒田市立泉小学校教頭、大山小学校教頭を歴任され、平成8年から平成11年まで大山小学校校長を務められました。